前回、「多様性」を活かすことが
大事だという話をしました。
もう少し「多様性」について
書いてみたいと思います。
「多様性」の話になる時に、
「多様性を認める」という話が出てきます。
私のこの
「多様性を認める」という言葉に
違和感を感じています。
違和感には2つあります。
今回は、その2つについてお話したいと思います。
まず、1つ目です。
「多様性を認める」というからには、
「多様性を認めないという価値観」も
認めないといけないと思うのですが、
いかがでしょうか?
こんなことを言うと面倒くさいヤツだ!
と思われるでしょうね!(笑)
「多様性を認める」というのは
1つの価値観に過ぎません。
「多様性を認めないという価値観」が
あって良いというのが、
「多様性を認める」ということでは
ないか?と思う訳です。
例えば、軍隊においては、
「多様性」は認められないと思います。
ギリギリの状態で「多様性」を認めていたら
ばらばらになってします。
軍隊みたいな会社を目指すことも、
上手く行くかどうかは別として、
それはそれで経営者の選択であって、
認められるべきことだと思う訳です。
そうすると、
「多様性を認める」という言葉自体が
「矛盾」しているのではないか?
と思えてきます。
これが、私が
「多様性を認める」という言葉に
感じている1つ目の違和感です。
2つ目の違和感は
どこまで「多様性を認める」ことが
できるのか?
ということです。
組織を運営していく上で、
全ての多様性を認めることは
できないと思います。
例えば、私だったら、
「仕事が嫌いだ!」という価値観を
認めることは難しいと思います。
どこかで「多様性」を制限せざるを
得ないと思います。
つまり、
「多様性を認める」と言っておきながら、
「多様性を認めない」ということを
やらざるを得なくなります。
そうすると、
そこには「矛盾」が出てきます。
なぜ、私がここまで「矛盾」に
こだわるのか?
以前のブログでも、
「美しい言葉は危険だ!」という話を
したと思います。
リーダーに必要なのは「一貫性」です。
リーダーの周りにいるスタッフは
全てをリーダーに確認できないので、
リーダーが言っていることを
基準にして判断をします。
スタッフは、リーダーが思っているより
リーダーの「一貫性」をよりどころにしています。
「矛盾」とは「一貫性」が崩れることです。
「一貫性」が崩れると、リーダーでいることが
難しくなります。
これが、
「多様性を認める」ということに対して
私が感じている違和感の正体だな!と
書きながら、わかってきました。
なんだか、ずいぶん、理屈っぽくなってしました。
次回は、もっと軽いテーマにしますね!
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