安倍元総理大臣が凶弾に倒れました。
心からお悔やみを申し上げます。
なんと言葉にすればいいのか・・・
しかし、今回の事件を避けて
ブログは書けません。
たとえ、どんな背景があろうとも
自分が受け入れたくない人を
暴力で排除しようとすることは、
許すことができません。
私は、人と人が違うということを
理解することが、
人を自由にすると思っています。
自分と違っていることは
間違っているのではなく、
違うだけです。
自分が正しくて、
相手が間違っていると思うから
相手を変えようとするのです。
しかし、
人を変えることはできないから
相手を変えようとする限り、
ずっと不自由です。
その不自由に耐えられなくなると
あとは、相手を排除するしか
ありません。
人と人が違うことが理解できていれば
このようなことにはならなかった
と思います。
ただただ、無力感でいっぱいになります。
それにしても、
今回の動機がよくわかりません。
犯人は、
「ある特定の宗教団体に恨みがあり、
安倍元総理大臣はその宗教団体と
関係があると思って狙った」
と供述しているとのことです。
しかし、
その特定の宗教団体に恨みがあるなら
その宗教団体を襲うはずです。
その宗教団体と関係ある
安倍元総理を襲ったところで、
宗教団体への恨みが晴らせるとは
思えません。
逃げるそぶりがないことから、
今回、やり遂げることが目的だった
と思います。
そうなると、
この供述はどうも信じることが
できません。
いつもブログに書いていますが、
人は選んでいます。
その人の選択は理解できなくても
その人はそれを選択します。
今回の犯人が考えていることは
理解できませんが、
彼は彼なりに選択をしたのです。
こんなことをいうと
今回の犯行を肯定している
ように思われかもしれません。
人と人は違うんだから
正しい、間違っているではなく
違うだけだと・・・
彼は彼なりに正しいと思ったことを
したのだと・・・・
そんな話をすると
こんな風に言われるかもしれません。
人の命を奪う人に対しても、
人と人が違うということを
受け入れないといけないのか!って・・・
ここで大事なことは
「人」と「コト」を分けるということです。
「人」のことは手放して、
彼がした「コト」を考える
ということです。
彼がした「コト」は、
絶対に許せないことです。
絶対に許せない「コト」を
したがゆえに
彼は許されれないのです。
彼がその選択をするには、
それなりの背景があるのかもしれません。
それはそれで
彼なりに理由があるとしても
彼がした「コト」によって、
彼は許されないのです。
「人」と「コト」を分ける
というのは、そういうことであり、
人と人は違うから、
何をやってよいということでは
ないのです。
最後に
友人のピアノ先生
きたざわ ゆみこ先生から教えてもらった
安倍元総理のピアノ演奏
をご紹介したいと思います。
故人様のご冥福をお祈りする共に
心からお悔やみを申し上げます。
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
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