常に最良な一日を過ごす!

10月8日に
義父が亡くなりました。

 

3年前から脳の難病を患い、
お医者さんから
現在の医学では治療の方法もなく、
徐々に進行し、最終的には寝たきりに
なると告げられたそうです。

 

その時に、義父は、
「今まで、さんざん好きなことを
してきたんだから仕方がねぇ~」
とすんなりと受け入れたそうです。

 

義父は、貸衣装やを営んでいて、
普段は、夕方の4時になると、
仕事を義母にまかせて、
飲みに行く・・・

 

稼ぎ時である
成人式やブライダルの時期が終ると、
仕事を義母にまかせて、
北海道や東北へ釣りに出かけ、
数週間も帰ってこない・・・

 

こんなことを何十年も続けていました。

 

好きなことばかりやって、
本当に自由奔放で豪快な人でした。

 

私からすると
羨ましい生き方に思えますが、
娘(私の妻)にしてみれば、
さんざん好き勝手をやってきて、
義母に迷惑をかけるのが
許せなかったようです。

 

さらに、最後は、病気になって、
寝たきりになって、義母に迷惑をかけて、
義母のことを考えると、
義父に対して、内心、
穏やかでなかった時もあったようです。

 

しかし、
ここ2~3年間ぐらい、
義父を介護する義母の手伝いを
しながら、
あれだけ自由奔放だった義父が、
自分でできることがなくなっていく
姿を目の当たりにしてきました。

 

物心ついた時から20~30年、
感じていた義父へのわだかまりも
ここ2~3年間の関わり合いによって、
なくなっていたようです。

 

結局、人は、時間的な長さではなく、
「一番楽しかった」あるいは
「一番つらかった」思い出と、
「別れ際」の思い出が心に残るのです。

 

これは『ピークエンドの法則』と
言われているものです。

 

人はほとんどの過去の経験を
時間的な長さではなく、
ピーク(最良か最悪)とエンド(最終局面)
の度合いで判断している

という理論です。

 

これは、
他人から自分のことを見る場合にも
当てはまるし、
自分で自分のことを見る場合にも
当てはまります。

 

つまり、
自分が人生を終える時に
いい人生だったか?どうか?は、
終ってみないと分からないのです。

 

言い換えると、
いい人生であったかどうか?は、
最後で決まるのです。

 

途中の良い悪いは、
あまり関係なのです。

 

いつ人生が終わるのかは、
誰にもわかりません。

 

しかし、終わりに向けて
日々、生きていることだけは
間違いありません。

 

そう考えると、
常に最良な一日となるように
生きていきたいと思います。

 

でも、上手くいかないことも、
最良でない一日を送ってしまう
こともあります。

 

それでも、明日は、
最良な一日であるように生きること

 

そんなことを義父から教えて
もらった気がします。

 

今日も最後まで読んでいただいて
ありがとうございます。

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