先日、電車に乗っていたら、
私立の小学生がシルバーシートに座って
その前でお母さん方が話をしていました。
子供たちもお母さん方も話に夢中で
だいぶにぎやかでした。
お母さんの身なりもきれいで
子供たちも賢そうで、
話している内容も大人びています。
その様子を見ていて、
私はだんだんイライラしてきました。
小学生から
電車を使って私立に通うぐらいなんだから
お金はあるんだろうけど、
シルバーシートの周りを占拠して
騒いでるなんて、
なんて常識がないんだろう・・・普通なら、シルバーシートは、
高齢者や体の不自由な人などが
優先して座るシートだから
元気な子供が座っちゃいけないと
親が教えるべきだろう・・・その親が子供をシルバーシートに座らせて
話に夢中になっている・・・こういう常識外れの親に育てられた
子供が常識外れの親になり
常識のない子供が育つ・・・この国はダメになる一方だ!
こんな風に頭の中で考えれば考えるほど
イライラが増幅してきます。
でも、冷静に考えてみたら、
周りを見ても、シルバーシートに
座りたがっている人もいなし、
席があいているのに
シルバーシートに座ってはいけない
わけでもないし、
ましてや、
子供がシルバーシートに座ってはいけない
というわけでもありません。
私は何にイライラしていたのでしょうか?
こういうのを「ナラティブ」と言います。
「ナラティブ」というのは、
もともと文芸理論の用語で
「物語」のことです。
ストーリーとナラティブの違いは、
ストーリーというのは物語の筋書きや内容で
客観的で人によって差がありません。
それに対して、ナラティブは、
話している人が作り出す物語で
主体的で人によって違いがあります。
今回の電車の中の出来事も
私のナラティブと他の人のナラティブは
同じではありません。
新学期、初めて、小学校に通う子供と
不安を抱えたお母さんという
ナラティブを描く人もいるかもしれません。
で、何が言いたいのか?というと
この「ナラティブ」によって
人は物事をとらえているということです
そして、
「ナラティブ」は人によって違う
ということです。
だから、自分の「ナラティブ」が
常に正しいとは限りません。
人の数だけナラティブがある。
だから、私はイライラを感じた時に
自分はどんなナラティブを描いているのか?
いったん、自分の思考を
ナラティブという「物語」にして、
客観的に見るようにしています。
すると、今回の事例のように
空いているシルバーシートに
子どもが座るということが
何の問題がないことに気付けたりします。
このように考えると、
組織の問題解決は、
ナラティブの対立を解決することです。
対立しているメンバーのナラティブを
それぞれ客観的に見せることで、
「物語」の別の可能性に気付いてもらう
ということをやっています。
いつもブログに書いている
ルービックキューブの裏側の話です。
自分には見えていない面
(ナラティブ)があるかもしれない…
相手のナラティブを否定することなく
そういうナラティブもあるよね!
と思えることが、対話の始まりであって、
一貫性がないとか信念が弱い
という話ではないと思っています。
自分のナラティブをいったん手放してみる
人と人は違うのだから、
そういうことが大事なんじゃないか?
と思います。
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
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