あらためまして、瀧田です。

自己紹介を兼ねて、
どうしてこの仕事をしているのか?
についてお話をしたいと思います。

 

 

瀧田 勝彦 (たきた かつひこ)

株式会社ロボット人事研究所
代表取締役
チームマネジメントパートナー
瀧田経営労務管理事務所 特定社会保険労務士

1971年生まれ
平成6年3月に立教大学法学部国際比較法学科卒業。

1.私、御曹司でした。

私の祖父はゴルフ場とホテルと
温泉館を経営していました。

私は28歳の時に当時勤めていた会社を
辞めて、祖父の会社に入りました。

その会社では、父はゴルフ場の社長、
母はホテルの社長、祖父は会長でした。

前の会社では、
私は主任になったばかりだったと記憶しています。

それが祖父の会社では、常務です。

主任から常務

大出世です!

私はみんなから「ジョウム」「ジョウム」
と呼ばれて、いい気になってました。

ある日、
アルバイトの女子高生にこう言われました。

「ジョウム」って変わった名前ですね!

私の名前は瀧田勝彦です。

よくある名前ではないですが、
変わっているとも思えません。

話を聞いてみると、
彼女は私の下の名前が
「ジョウム」だと思っていたようです。

瀧田ジョウム…

確かに変わってます。

ん?ということは、呼び捨て?

みたいな…

こんなおバカな三代目でした。

2.真面目だけが取り柄でした。

そんなおバカな三代目ですが、
真面目だけが取り柄で、
とにかく働きました。

朝は5時半に起きて、温泉館の掃除
7時からは朝食会場
9時にはお見送り
12時には温泉館の挨拶とお昼の配膳
15時から夜の宴会の準備
18時から宴会のお出迎え
21時から宴会の片付け
22時に次の日の朝食会場の準備

また、次の日、5時半に起きて…

ホテルですから、365日、休みなし!

これだけやった甲斐あって、
温泉館の業績は少しずつ良くなりました。

温泉館の社員さんも
私について来てくれるようになりました。

しかし、それを快く思わない人物がいます。

誰でしょうか?

祖父です。

私と父、母が一体となって、
会社を一生懸命改革しました。

これがまずかったのは、
今、考えれば分かります。

しかし、当時は必死でした。

「なんとか祖父に認めてもらおう!」
そんな想いで仕事をしていました。

3.運命の時が訪れた!

私たちが頑張れば頑張るほど、
双方の距離が開いてきます。

そうなると何が起こるか?

祖父の側につく社員が現れます。

古参の社員です。

祖父は普段は東京にいるので、
現場で何が起こっているかなんて
分かりません。

しかし、ある時から、
詳しく把握するようになりました。

そうです。

情報を会長側に流している社員がいたのでした。

こんなことを半年も続けていると、
どうなるか?

お互い、何も信じられなくなります。

お互い、やることなすこと
全てが悪意に見えてきます。

そして、その日がやってきます。

「会社を辞めさせてもらいます」

私、母、父の親子3人がその会社を去りました。

退職届を提出して、翌日から引っ越しです。

翌日、引っ越しをしていると、
引き留めるために社員さんが
家にやってきました。

それでも、私は強引に家を引き払いました。

私は、自分を信じてくれた社員を見捨てたのでした。

今から17年前の話です。

4.私はどうしたらよかったのでしょうか?

この話は今まで一部の方にはしてきましたが、
公にしてきませんでした。

話す勇気がなかったからです。

しかし、話すことにしました。

今をおいて話す時はないと
判断したからです。

私はどうすればよかったのでしょうか?

わたしの過ちは、
祖父を見返してやろうと
考えたことでした。

本当のことを言うと
祖父が私を認めてくれさえすれば
よかったんです。

祖父が変わってくれればよかったんです。

でも、祖父は変わらなかった…

私はどうすればよかったんでしょうか?

私が変わればよかった?

それはできません。

あれだけ身を粉にして働いていたんだから…

そんなことをしたら、
私の精神は崩壊していたと思います。

では、どうしたらよかったのでしょうか?

問題を解決する方法には2つあります。

1つは問題そのものを解決する方法です。

今回で言うと、祖父が変わるか?私がかわるか?

どちらかが一方的に非を認める形になります。

これって問題が解決したように思うかも
しれませんが、実は解決していません。

なぜなら、非を認めることができないからです。

(認めることができるレベルなら、
そもそもこのレベルの話ではありません。)

このように問題を解決しようとすると、
問題が解決しないということが起きます。

ここで、もう1つの解決方法があります。

それは、「こうなりたい!」という最高の状態
を考えることです。

祖父に寂しい想いをさせることなく、
我々、親子3人が力を発揮して、
会社を立て直すということです。

そう考えることができれば、
別のやり方が見つかります。

簡単な方法ではありません。

しかし、やればやるほど
お互いの距離が離れるようなことには
ならなかったんじゃないか?と思います。

5.私の仕事の原点

今なら、こんな話も出来ますが、
その当時は、こういう話をしてくれる人が
いませんでした。

あのとき、自分に支えになってくれる人がいれば、
違った人生もあったかもしれないと思います。

そんな心の支えになりたい!

それが私がこの仕事をしている原点です。

私の世界観は、「自分の人生を生きる」

「自分の人生を生きる」自分の人生を生きるとは、
自分で決めて自分のためにやるということです。

勝手気ままに生きるという意味ではなく、
自分の「つよみ」で周りに貢献し、
必要とされて生きていく
ということです。

人は知らず知らずのうちに、
誰の人生を生きているのではないか?
と思うことがあります。

役割と言っていいのかもしれません。

親に期待されて・・・

社長に期待されて・・・・

上司に期待されて・・・

お客様に期待されて・・・

確かに、社会で生きていくためには、
役割を果たすことも必要です。

役割を果たすことで、社会に必要とされて、
報酬を受け取り、生きているのだと思います。

しかし、役割は必ずしも自分に向いているとは
限らないと思います。

得意でもないことを我慢してやるということは
尊いことですが、
長く続けていくことはできません。

役割を果たしながら、
自分の生きたいように生きるには
どうしたらよいのか?
が私のテーマです。

そして、それに対する私の答えが、

「自分の強みを活かしてチームに貢献する」

ということです。

マネジメントの父と言われる
ピータードラッカーは

「マネジメントとは、
組織を構成する人が、その人の強みを
活かして成果を上げ、自己を実現し、
弱みを無力化するように組織を運営する方法」

と言いました。

自分の弱みを補ってくれる人は、
自分とはタイプの違う人です。

タイプの違う人とは相性がいいわけがありません。

しかし、その人が自分の弱みを補ってくれると考えると、
その人の見方が変わってきます。

誰一人として、完璧な人はいません。

人は支え合って生きていくのです。

チームのメンバー一人一人が
お互いが強みを活かし合いながら、
お互いの弱みを支え合う。

みんな違って、みんないい!

それが私が目指しているチームの姿です。

それが「自分の人生を生きる」ということです。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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