終戦の日に何を反省するのか?

今日、8月15日は「終戦の日」です。

 

今から75年前の8月14日に
ポツダム宣言を受諾して、
8月15日に天皇がラジオ放送で
終戦を告げました。

 

その日が8月15日です。

 

いつも釈然としないのですが、
75年も経った今でも、
どうして日本は反省を求められる
のでしょうか?

 

「勝てば官軍、負ければ賊軍」

 

戦争に負けてしまったのだから
仕方がないと言えば、
それまでですが、

 

「喧嘩両成敗」という言葉もあります。

 

勝ったほうが人を殺してよくて、
負けたほうは人を殺してはいけない
なんてことはないと思うのです。

 

戦争に参加した時点で
お互いに負けだと思うのです。

 

だから、
反省は必要だと思いますが、
必要以上に反省してはいけない
と思うのです。

 

なぜならば、
何を反省してよいか?
分からないからです。

 

なんとなく、
反省することが目的になっている
ように思うのです。

 

前回のブログに書いた通りで
反省することが目的になってしまうと
考えなくなります。

 

なぜ、
日本は無謀な戦いをしたのでしょうか?

 

東アジアを欧米から解放するため
という人もいるし、

 

アメリカに経済制裁を受け
仕方なく戦わなければならなかった
という人もいるし、

 

東アジアの資源を独占するため
という人もいます。

 

諸説いろいろあって、
本当のことは分かりません。

 

というか、
どれも本当なんだと思います。

 

尊い理念を掲げてスタートしても、
上手く行きすぎると、
人間、調子に乗ります。

 

意図が分からない人も出てきます。

 

いつの世もどの国にも悪い人はいます。

 

殺し合いですから
正気も失います。

 

私には想像もつきません。

 

自分がその渦中にいた時に
適切判断ができたのか?

 

私には自信がありません。

 

だとしたら、何を反省したら
良いのでしょうか?

 

反省するとしたら、
自分の行為にしかできないと
思うのです。

 

そう思っていたところ、
友人のしめたにさんが、

 

Facebookで

 

終戦の詔勅-玉音放送-

 

8月15日に天皇がラジオ放送で
告げた全文をアップしていました。

 

恥ずかしながら、
全文を読んだの初めてです。

 

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終戦の詔勅
-玉音放送-
(1945.8.15正午)

 

「朕深ク
世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ
非常ノ措置ヲ以テ
時局ヲ收拾セムト欲シ
茲ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク」

 

私は深く
世界の大きな流れと大日本帝国が今おかれている状態を考え
普通ではありえない方法で
このありさまを収めようと思い立って
こうして忠義の心を持った良民であるみなさんにお話しします

 

「朕ハ帝國政府ヲシテ
米英支蘇四國ニ對シ
其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨
通告セシメタリ」

 

私は大日本帝国の政府に
「アメリカ、イギリス、チャイナ、ソ連の4国に対して
4国が共同して要求してきた条件を受けるように」と
言いました

 

「抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ
萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ
皇祖皇宗ノ遺範ニシテ
朕ノ拳々措カサル所曩ニ」

 

そもそも大日本帝国の臣民のみなさんの健康と安心を守り
世界中の人たちと共に栄え喜びをわかちあうという願いは
天皇家の先祖たちが、昔からのこして来た生き方のおてほんなので
わたしもおろそかにせずいつも心がけてることなんですから

 

「米英二國ニ宣戰セル所以モ
亦實ニ帝國ノ自存ト
東亞ノ安定トヲ
庶幾スルニ出テ」

 

アメリカやイギリスに戦争をいたしますと言って始めました理由も
また実に大日本帝国が自分の力でなんとか生きて行くことと
東アジア地域の平和とを
いろいろと考え工夫してやって行こうとしたところから始まった事で

 

「他國ノ主權ヲ排シ
領土ヲ侵スカ如キハ
固ヨリ朕カ志ニアラス」

 

他の国の持っている権利をないものにしたり
その国の土地を奪うなどということは
もともと私の心にはありません

 

「然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ
朕カ陸海將兵ノ勇戰
朕カ百僚有司ノ勵精
朕カ一億衆庶ノ奉公
各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス
戰局必スシモ好轉セス
世界ノ大勢亦我ニ利アラス」

 

ということで戦ってもう4年見て来まして
私の陸軍、海軍の将官、兵隊が勇気をふるって戦い
私のたくさんの役人や大事な仕事についてる人々が一生懸命働き
私の一億人の国民のみなさんが頑張り
みんなみんな最もいい働きをして尽してきたのに
戦争の状態は努力に応じて良くはなりません
世界の大きな流れもまた私たちに有利にはなってません
(和平交渉の仲介を頼んでいたソ連が条約を破って
数日前に敵の仲間になって突然攻撃すると言って攻めて来た)

 

「加之
敵ハ新ニ
殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ
頻ニ無辜ヲ殺傷シ
慘害ノ及フ所
眞ニ測ルヘカラサルニ
至ル而モ
尚交戰ヲ繼續セムカ
終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スル
ノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ
破却スヘシ斯ノ如クムハ」

 

それに加えて
敵は新しく作った
残虐な爆弾を使って
(原子爆弾:広島長崎に落とされた)
しきりに何の罪もないものを傷つけ殺し
(赤ん坊から年寄りどころか木や草や鳥や森や豚や牛までも殺戮)
惨憺たる被害が及んでいて、こんな事は
ほんとうに思ってもみないことで
こうなってしまった今
変わらず戦いを続けるか
最終的には我々が地球上から消されてなくなる
だけでなく
そこから人類の文明さえも破壊し焼き付くし捨て去ってしまう
このような状況になっていくであろうことは….

 

「朕何ヲ以テカ
億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ
共同宣言ニ應セシムルニ至レル
所以ナリ」

 

私はどの選択をして
一億一兆の赤ちゃんのようにかわいい子供たちを抱えて
天皇家の祖先の神さまの霊魂に謝ればいいんでしょう
と考えて私は大日本帝国政府に
敵の要求をのむように言ったのです。

 

「朕ハ帝國ト共ニ
終始
東亞ノ解放ニ協力セル
諸盟邦ニ對シ
遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」

 

私は大日本帝国と一緒に
はじめからおわりまで
東アジアの解放に協力してくれた
アジアの国々に対して
申し訳ない気持ちを表さないではいられません

 

「帝國臣民ニシテ
戰陣ニ死シ
職域ニ殉シ
非命ニ斃レタル者

其ノ遺族ニ想ヲ致セハ
五内爲ニ裂ク

戰傷ヲ負ヒ
災禍ヲ蒙リ
家業ヲ失ヒタル者ノ
厚生ニ
至リテハ
朕ノ深ク軫念スル所ナリ」

 

大日本帝国の臣民の中で
戦争に参加して死んだり
職業に殉じて命を失くしたり
天命をまっとうできず倒れ亡くなった人
そして
その遺族に思いをはせると
内蔵が裂けるような苦しみです
しかも
戦争で怪我をし
戦争のわざわいをこうむり
仕事を失くした人の
生活を豊かにすること
に関しては
私が天皇として深く心を痛める所です

 

「惟フニ
今後
帝國ノ受クヘキ
苦難ハ
固ヨリ
尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ
朕善ク之ヲ知ル」

 

考えてみると
これから
大日本帝国の受けるであろう
苦しみや災難は
いうまでもなく
常識をはるかにこえ
みなさんのウソいつわりのない気持ちも
私はよく知ってます

 

「然レトモ
朕ハ時運ノ趨ク所
堪ヘ難キヲ
堪ヘ
忍ヒ難キヲ
忍ヒ
以テ
萬世ノ爲ニ
太平ヲ開カムト
欲ス」

 

そんな状況でも
私は時や運の流れに身をまかせ
「こらえること」が困難なことを
「こらえ」
「やりすごすこと」が困難なことを
「やりすごし」
そうすることで
これから続くこの国のいく万の子孫のために
戦争を終わらせ平和な世界を開き
たいのです

 

「朕ハ茲ニ
國體ヲ護持シ
得テ
忠良ナル
爾臣民ノ
赤誠ニ
信倚シ
常ニ
爾臣民ト共ニ
在リ」

 

私はこうして
わが国のすがたを守り
たもっていられますし
忠義と素晴らしい能力に溢れた
みなさんの
赤ん坊のような誠の心を
信じてそれを助けにして
いつもいつも
みなさんのそばに
います

 

「若シ夫レ
情ノ激スル所
濫ニ事端ヲ
滋クシ
或ハ
同胞排擠
互ニ
時局ヲ
亂リ
爲ニ
大道ヲ誤リ
信義ヲ世界ニ失フカ
如キハ
朕最モ之ヲ
戒ム」

 

もしか もしかして
激情にかられ
みだりに何か事件の発端を
開こうとしきりに動いたり
あるいは
仲間をおしのけたりおとしいれたり
たがいに
この苦しい時を
混乱へと導き
それによって
人としての大きな道をそれて
世界からの信用をうしなう
ようなことになることを
私はいちばん
いましめます

 

「宜シク
擧國
一家
子孫
相傳ヘ
確ク
神州ノ不滅ヲ信シ
任重クシテ
道遠キヲ
念ヒ
總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ
道義ヲ篤クシ
志操ヲ鞏クシ
誓テ
國體ノ
精華ヲ
發揚シ
世界ノ進運ニ
後レサラムコトヲ
期スヘシ」

 

ちょうどいいころあいで
国のすみずみまで
一家
子孫
お互い伝え
しっかりと
神のくにの不滅を信じて
まかされたことは重く
道は遠いと
心に念じ
すべての力を将来の建設に傾け
人の道や義の心をあつく育て
変わらないこころざしをかためて
かならず
わが国とは何か?
ほんとうの 本質の
国の華(はな)
精神の神髄を
ふるい立たせ
世界の進歩や運のいい国に
おくれをとらないと
心に刻むしかないのです

 

「爾臣民
其レ
克ク
朕カ意ヲ
體セヨ」

 

みなさん
これを
よく
私のおもいを
体現するのです

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これを読んで
あらためて、今の日本が
多くの犠牲の上に成り立っている
ことを思います。

 

そして、
日本の将来を心配し
我々に託してくれたのに、
それに応えることができている
のだろうか?
と反省しました。

 

なるほど・・・

 

反省って、人に求めるものではなく
自分でするものなんですね!

 

これについては、
いろいろな意見があってよいと思います。

 

大事なことは、
自分で考え感じることだと思います。

 

そして、
それぞれが考え感じたことを尊重し、
相手が変わることを求めない・・・

 

それぞれが考え感じたことを大事にしたら
いいのだと思います。

 

そういう想いのこもった日なのだと思います。

 

ようやく、この歳になって
8月15日の「終戦の日」の意味が
分かったような気がします。

 

今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます。

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