勝負所で負けてはいけない

日本の国際競争力が落ちている
みたいな話が出る時に、
思うことがあります。

 

MRJが飛んでいたらなぁ〜
ということです。

 

MRJとは、
三菱航空機が開発していた
国産初のジェット旅客機です。

 

1945年、我が国は、
第二次世界大戦の敗戦により
GHQの占領下に入り、
飛行機の研究が禁止されました。

 

その後、1957年に禁止が解除されて、
YS-11というプロペラ機が作られ、
2006年まで日本の空を飛んでいました。

 

その後、
YS-11に次ぐ旅客機ということで
国産ジェット機の開発が始まりました。

 

2015年には
初飛行を果たしたものの、
型式証明書の認可が取得できず、
2023年に計画の中止が発表されました。

 

ジェット機が量産されることになれば、
膨大な部品数が必要となるだけに
国内の製造業を潤すことに
なるはずでした。

 

また、国産ジェット旅客機が
世界中の空を飛ぶことになれは、
敗戦によって失った
日本人としての誇りを取り戻すことに
なるはずでした。

 

そういう意味で、
MRJの失敗は、我が国にとって
大きな痛手になったと私は思っています。

 

先日、ネットを見ていたら、
そんなMRJの失敗について
三菱航空機の川合元社長が
インビューに答えている記事がありました。

 

MRJ計画失敗
https://news.yahoo.co.jp/articles/77ab20d8d15d3c2daf7e9b67d4b893305b92922c

 

そのインタビューの中で
川合元社長は、
型式証明書が取得できなかった理由を
こんな風に話していました。

 

私がいろいろなことを言っても、
彼ら(技術者)は
『自分のやり方でやります』
とはっきり言うとそういうタイプ。

その当時の技術者は
“うぬぼれ”があったのではないか
という気がしています。

飛行機としてはいい飛行機を
造ってくれます。

いわゆる履き違えていたんです。

飛行機を造ることと、
安全性を証明していくことは
違うことなのが
分かっていなかったんだと思います。

やっぱり謙虚さに欠けていた
ところがあると思います

 

型式証明書は
この飛行機が安全に飛べることを
証明するための書類です。

 

この証明の認可が取れませんでした。

 

その原因が“うぬぼれ”だったとは・・・

 

たしかに、基準も厳しく、
クリアできなければ、
設計や素材を変えたりしないと
いけないので、大変だと思います。

 

ただ、それも、
最初から分かっていたことです。

 

だから、そこは、
何としてでもクリアしなければ
なりませんでした。

 

たしかに、
やってみないと分からないこともあります。

 

しかし、
物事、勝負所というのがあって、
絶対に負けてはいない時があります。

 

その勝負所で、間違えないように
全力を尽くさないといけないところが、
あるのだと強く思います。

 

あとで、後悔なんていくらでもできます。

 

この程度でいいだろうなんて思うことなく
どんな手を使ってでも、
その時にできることを全力でやる!

 

ギリギリのところで成果が出るか?
出ないか?というのは、
そういうところで決まるのだと思います。

 

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

 

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